私たちは、聖書を構成する66の本(旧約聖書:39、新約聖書:27)は、その原本において、そのすべての部分が平等に(十全霊感)、また、そのすべてのことばが霊感を受けた(逐語霊感)誤りの全くない神のことばであると信じる。
また、聖書だけが信仰と生活における絶対の規範として神から与えられた唯一のメッセージであるため、人はこれをその通り信じ受け入れ、 またこれに服従する(愛し、学び、伝え、実践する)責任があることを信じる。
私たちは、万物すべてを創造され、それを完全な知恵と力で治めておられる唯一の神を信じる。神は永遠に、父、子、聖霊の三位において存在しておられるが、しかし、それぞれは本質において同一であり、力と栄光を等しくする、すべての被造物によって崇拝を受けるに値する唯一のお方であると信じる。
私たちは、イエスは真の神であり、真の人であることを信じる。
イエスが聖霊により身ごもった処女マリヤから人として生まれられたのは、罪に汚れた人類を救うためであった。
(マタイの福音書1:21; ヘブル人への手紙2:14-15, 9:26)
そして、自ら進んで十字架にかかり、人類が受けるべき罪の裁きを代わりに受けてくださった。イエスは、死後三日目に 約束通りよみがえり、現在、天にあって、私たちのために執り成しをし、将来、私たちを天に迎えるために再臨されることを信じる。
(ヨハネの福音書14:3, 18; ローマ人への手紙4:25, 8:34; ヘブル人への手紙7:25, 9:28)
私たちは、聖霊が神としてのあらゆる属性を兼ね備えたお方であると信じる。
聖霊は、人に罪を示し認めさせ、悔い改めを与え、救いへと導かれる。
(ヨハネの福音書16:8, 13; 使徒の働き11:18)
そして聖霊は、救われたキリスト者のうちに内住し、その人を助け、励まし、教え、導き、懲らしめ、そして、主イエスに似た者へと日々造り変えて行かれることを信じる。
私たちは、神によって造られた最初の人アダムが、自らの意志で神の命令に逆らうという罪を犯した時、彼が霊的にも肉体的にも死ぬ者となったことを信じる。
すべての人はこのアダムにあって罪を犯したため、生まれながらに神に逆らう罪人であり、そのため神による永遠の罪の裁きが約束されていることを信じる。
私たちは、救いとは救われるいかなる希望も、可能性もない私たち罪人に対して、神が一方的に備えてくださった恵みの賜物であると信じる。神は、私たち罪人のために救い主イエスをこの世に送ってくださり、十字架での身代わりの死によって完全な救いを備えてくださった。この救い主イエスを信じる者を、例外なく神は救い、永遠に失われ事のない完全な救いを与えてくださる。
(ヘブル人への手紙10:10-14; ヨハネの福音書10:28)
また神は、赦しだけでなく、罪人を虜にしていた罪の力からも救い出してくださる。そのため、主を愛する生き方、つまり主の御心に従い、主を喜ばせる歩みが私たちキリスト者に可能となるのである。
私たちは、教会は神の恵みによりこの世から召し出されたキリスト者の集まりであると信じる。キリスト者は、その主であるイエス・キリス トに服従するという責任を負っている。それは、聖書のみことばに従うことである。神が教会に与えた使命は、「弟子作り」、すなわち福音宣教と信者の教化であると信じる。
そのために、教会はみことばを学び、その教えに服従し、神を礼拝し、礼典(バプテスマ、聖餐式)を守り、伝道し、教化に励み、それぞれの霊的賜物を用いて互いに仕え励まし合い、そして、再臨を待ち望むのである。
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